子育てコラム

ゲッパギャルから助産院開院まで

※ゲッパ→秋田弁でビリの意味

今年の夏は母校秋田中央高校が甲子園に出場し燃えに燃えた夏でした。
夫婦そろって中央高校卒であり夫は野球部だったので、寄付金を集めて母校に持って行きました。校舎は新しくきれいで、青春の跡形もなくすこし寂しさも感じられました。
ここで高校生活を送った20年以上前のことを思い出します。今や時効ともいえる悪さは数えきれないほどしてきました。もちろんそんなことばかりしているので、テストは毎回赤点、成績も280人強の人数のうち280番台をうろうろしていました。冬の日本海のように大荒れな思春期でした。私は、当時から下ネタと呼ばれる分野は得意中の得意で、性のことなら頼られる存在となっていました。
でも将来の夢はスタイリスト。そのために服飾関係の学校見学に東京まで行きました。その時街中で女の人が倒れる場面に遭遇しました。声も出せなく、見ていることしかできないもどかしさから医療関係に進学したいと思い、高校の先生に相談しました。学年で成績最下位ゾーンの私には一般入試も受けさせることができない...と言われ、受験することもなく予備校に入りました。落ちてもいないのに11月に予備校入学という切符を手にした私は今考えても変わり者でした。
予備校での1年が私を180度変えました。目標が定まるとスポンジが水を吸うがごとく、どんどん勉強が頭に入ってきて、看護学校へと進学しました。母性看護を学ぶ中で出産に感動したのと、自分の経験から性について学びを深めたく、助産科へ進学しました。高校生の堕落したゲッパギャルから、看護科も助産科もどちらも主席には届かず2位で卒業したのは今でも私の自慢です。
助産師となり晴れて配属されたのが産科ではなく循環器・心臓血管外科でした。当時は産科に配属されない悔しさもありましたが、今思うとこの経験が糧となり、その後の産婦人科やNICUでの循環動態を把握するのに役立ちました。
結婚と同時に秋田へ戻り、大潟村で農家の嫁として仮面をかぶっていましたが、やはり本業をやりたくウズウズしていました。
縁あって市町村から乳幼児の健診依頼があったり、男鹿市のネウボラ事業も1年関わらせていただきました。その中で訪問事業や、性教育など、やりたいことが明確になってきてきまして今年8月に大潟村に「たま助産院」を開設しました。武石万里子の頭文字と、実家で長年飼っていた猫の名前がたまだった、というタマタマなネーミングになりました。
今年度いっぱいは性教育の見習いとしていろんな方のお話を聞いています。来年からはデビューできるようにセリフを練っているところです。
乳児訪問はなるべく要望には応えたいのですが、農繁期は難しいこともあるかもしれませんが、一度連絡いただければ調整いたします。
体重が気になるお母さんからの依頼や、抱っこやおんぶ紐についてのご相談も受け付けております。昔ながらのおんぶ紐や兵児帯、スリング等は使い方を知れば育児がもっと楽しく楽になるはずですので、試してみたいという方はご相談お待ちしております。
優等生ではないゲッパギャルから助産師になった経験が今でもご相談に役立つことがあります。助産院というと堅苦しいですが、敷居なんてものは1㎜もありませんので気兼ねなく頼ってくださいね。

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