子育てコラム

自分の感受性くらい

お久しぶりです。特別支援教育アドバイザーの船木祐子です。

新型コロナウイルス感染症の収束のめどもたたず、出口の見えない長いトンネルの中にいるようなモヤモヤした日々が続いています。ワクチン接種も始まってはいるものの、常に不安を感じながら、体の中に重たい石の塊を抱えているような状況ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

年を重ねるごとに,新しいことにチャレンジするエネルギーや柔軟に対応する力、適応力のなさを感じるようになってきました。コロナ禍のせいもあるかもしれませんが、人と交流する機会が減り、感情豊かにおしゃべりしたり、気持ちを解放する機会が減って、心が平坦になってきているような気がします。
 
そんな自分への戒めの気持も込めて、今回は、茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩をご紹介したいと思います。

「自分の感受性くらい」

茨木のり子

ぱさぱさに乾いていく心を ひとのせいにするな 
自ら水やりを怠っておいて 

気難しくなってきたのを 友人のせいにするな 
しなやかさを失ったのはどちらなのか 

苛立つのを 近親のせいにするな 
なにもかも下手だったのはわたくし 

初心消えかかるのを 暮らしのせいにするな 
そもそもが ひよわな志にすぎなかった 

駄目なことの一切を 時代のせいにはするな 
わずかに光る尊厳の放棄 

自分の感受性くらい 
自分で守れ ばかものよ 

作者、茨木のり子さんは、1926年生まれ、2006年に79歳で亡くなられた詩人で、この詩は、1977年、茨木のり子さんが51歳の時に書かれた作品です。いかがでしたでしょうか。

未来を担う子どもたちには、心豊かに生き生きと過ごしてほしいと願いながらも、そのお手本になるべき周りの大人たちは、どうでしょうか。自分の人生を前向きに明るく過ごす姿を見せているでしょうか。

日々の生活、家事や育児に追われ、目の前の小さな幸せや美しい物に気づくことなく、思い通りにならないことを何かのせいにして、イライラし、我が子に当たったりしてはいないでしょうか。もしかしてそんな時は、頑張っている自分にたっぷりと「水やり」が必要なのかもしれません。

一日の終わり、今日一日を振り返って、ほんの小さな良かったことや嬉しかったことを一つでも見つけ、家族や我が子の笑顔を思い浮かべながら、すてきな夢が見られるよう願いながら眠りにつくとしましょう。

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